福西です。「かず」のクラスの所信として、以前山びこ通信(2012/3月号)に書いたことを再掲します。
勉強は、偏見を剥ぎ取ることで視野を広げて、より自由になっていく行為です。もしそれを、他者への優越感を手に入れるためにしているのであれば、それは真逆を行くようなことです。それは至って不自由なことであり、いつかは「上には上がいる」ことに愕然として窮してしまうことでしょう。
すなわち、「比較」によって「やる気」を出してもらうことは刺激が強いだけに危険です。後になって生徒がその時の喜んでいた自分の姿を思い出して、たちまち勉強自体への興味が「色あせる」ことの方を、むしろ私は恐れます。たとえば『チョコレート戦争』に出てくる金泉堂のお菓子のように、「本人がそのあとに約束されたご褒美を手に入れることにやる気をなくせば、それまで」という方式で、いつまでも引っ張ることは、あまり適切ではないと感じています。それは「後からネガティブになる思い出」になるかもしれないからです。
そのような思いで、かずのクラスで一体何に取り組めばよいかと考えた時に、私が行き当たった一つの答が、「パズル」(特に「論理パズル」)でした。パズルは「自分は間違っていない」という前提に立っているとなかなか解決に至らずに、結果、自分が悔しい思いをします。それでも粘りたくなるところが、パズルのよさです。
問題の設定自体はおよそ現実離れしていますし、一瞬は他人の「解けた!」という声が気になるかもしれませんが、パズルそれ自身の中に解く楽しみがあるので(つまり自分が解けたかどうかにしか意味がないので)、人と比べる必要は本来はあまりありません。
発展的なことへの興味は無理に抑える必要はありません。ですが、ただそれを学課の延長に求めて「興味が先細りする」ことを心配するよりも、全く次元の異なるところで勝負するパズルで、やわらかい好奇心を受けとめてあげた方が、むしろ自然なことだと考えるようになったのでした。そして当然のことながら、パズルは算数の根幹である「考えること」を鍛えます。
自分で一から答案を作り上げること。こちらが答を教えるのではなく、また隣の答がそうだからではなく、自分に確固とした根拠があることを「そうだ」と言えること。これこそ何にもまして応援してあげたいものではないでしょうか。
勉強をすると、その分、以前の自分から変わることができます。自信とは、「以前も変わることができた自分を、今度もまた信じられること」です。私の思いは、そのような、過去の自分と向き合って克服した頑張りを、『桃太郎』のきびだんごのように持たせてあげたいというものです。自分との付き合いは永続的であり、それを芯に持っていれば、算数に限らず、何においても踏ん張りがきくものと考えられるからです。
(福西)
(山びこ通信2012.3「かず」より抜粋・加筆修正)