前回につづいて、魏の武帝(曹操)の「短歌行」の解説ののこりを読み、同じく武帝の「苦寒行」を読み始めました(いずれも『文選』巻27より)。
「杜康」とは、はじめて酒を造ったと言われる伝説上の人物ですが、ここではお酒そのものを指します、というようなことを、前回はお話ししました。
その後、自宅で教育テレビ(ETV)の「日本の話芸」を見ていますと、「試し酒」という落語の主人公が、「酒は儀狄(ぎてき)が造った」と言う場面がありました。
それを見て、前回はそのことをお伝えしていなかったと思い出し、今回はそのことについてもお話ししました。
○「苦寒行」は、タイトルの通り、雪の「霏霏(ひひ)」と降る山道を行かねばならず、しんどい、はやく家に帰りたい、と歌った詩です。
ただ寒い、険しいというだけではありません。
山には熊が住んでいますし、虎の鳴き声も聞こえます。
このときの恐ろしさを、曹操は次のように表現します。
「熊羆(ゆうひ・クマやヒグマ)は我に対して蹲(うずくま)り、虎豹は路を夾(はさ)んで啼(な)く」。
つまり、熊はこちらを向いてうずくまっているし、虎や豹は山道の両脇で「ううう…」と鳴いている、というわけですが、では、このときの熊の「蹲」(うずくまる)という姿勢・体勢は、いったいどんなものだったのでしょうか。
日本語で「うずくまる」というと、突然、おなかが痛くなった人が、しゃがみこんで苦しんでいるような様子を想像します(おなかがいたいとは限りませんが)。
しかし、熊がそんな格好をしていたとしても、あまり怖いようには感じませんね。
「蹲」の字を『漢辞海』で調べますと、「しりは地に着けないまま、両ひざを曲げて座るようにする」と出ています。
つまり、お相撲の取り組みの際に関取がとるポーズ、「蹲踞」のような体勢です。
これまた、熊にできるとは思えない姿勢ですね。
そこで、私たちのクラスの「できるだけ『漢辞海』に従って読む」というルールからはちょっと外れますが、中国で出版されている字典を見てみますと、そこには「臀部(でんぶ・おしりのこと)を地に着けて座る」と載っていました。
その字典の説によると、後に意味が変化して、おしりをつけないで座ることを表すようになったそうです(『王力古漢語字典』)。
そんなわけで、なんとか熊の姿勢はイメージできました。
ちなみに、手もとの『岩波国語辞典(第三版)』には「うずくまる」の意味として、上に挙げたような「体を丸くしてしゃがむ」のほかに、「けものが前あしを折って、地面に腹をつけてすわる」とあります。
私の家で飼っていた犬が、よくそんなポーズで寝転がっていたことを思い出して、熊の姿勢としても不自然ではないと思ったのですが、それは日本語「うずくまる」の意味で、漢字「蹲」の意味とはちょっと違うのでしょう。
○この詩のおもしろさとして、また「連綿語」(擬態語・擬声語)が多く用いられることがあります。
先ほど、雪が「霏霏」と降ると書きましたが、これは、雪がしきりに降ってくる様子を表す擬態語です。
このほか、「巍巍」(ぎぎ・高々とした様子)、「詰屈」(きっくつ・くねくねとした様子)、「蕭瑟」(しょうしつ・ものさびしい様子)、「怫鬱」(ふつうつ・気持ちがくさくさしている様子)、「徘徊」(はいかい・ぐずぐずしている様子)、「悠悠」(ゆうゆう・はるか遠い様子)、と書き出してみると、短い詩にもかかわらず、ずいぶんたくさん見つかりました。
試しに口に出してみてください。語呂が良くて、なんだか、ちょっと楽しくなるような言葉ばかりではありませんか?
擬態語・擬声語の多さは日本語の特徴のように言われがちですが、中国語にもこんなにあるんですね。
ところで、「霏霏」に当てはまるような標準語の表現を、あまり聞いたことがありません。
東京では、「霏霏」として雪が降るなんてこと、めったにありませんからね。
これを、私の故郷・山形の方言で訳すと、「雪が、おんこおんこと降る」となります。
私にはすごく良く分かりやすい表現なのですが、みなさんには伝わったでしょうか。
木村